WWA²

Chapter 9

ログを編集し、人生を取り戻す

記録は保管から始まり、やがて編集に変わる。出来事を自分の言葉で並べ直せるようになると、人生との関係も少しずつ変わっていく。

書くことは、思っていたよりも回復に近かった。

最初はただ、忘れないためだった。
この違和感が何だったのか。
どこで話がずれたのか。
なぜあの会話のあとだけ妙に疲れたのか。

そういうものをそのままにしておくと、時間が経つにつれて少しずつ曖昧になる。曖昧になったものは、たいていこちらのせいにされやすい。気にしすぎだったのかもしれない。あれくらい普通だったのかもしれない。自分の受け取り方が少し極端だっただけかもしれない。

だから記録した。

ほんの短い言葉でもいい。
あとから見返して「あれは確かにあった」と分かる形で残しておく。

最初のうちは、それだけだった。
けれど、残したものが少しずつ増えていくと、記録は別の働きを始める。

ただの保管ではなく、編集が始まるのだ。

似たものが似たものとして並び始める。
ばらばらだった違和感に名前がつく。
ひとつの出来事だと思っていたものが、実は同じ構造の反復だったと分かる。

そうなると、過去は少しずつ形を変える。

思い出したくない断片だったものが、
比較できる材料になる。

ただつらかっただけの記憶が、
どこで何が起きていたのかを示す地図になる。

おそらく私は、その変化にかなり助けられた。

長いあいだ受け身で抱えていたものを、自分の言葉の並びへ移し替える。すると、その瞬間に重さが完全になくなるわけではない。けれど、重さの置き場所が変わる。胸の内側でぐしゃぐしゃに渦巻いていたものが、紙の上で順番を持ちはじめる。

順番を持ったものは、もう前と同じようには自分を乱さない。

それに、編集には少し可笑しみが混ざる。

深刻な出来事ばかりをそのまま積み上げていくと、人は息が苦しくなる。だから比喩が生まれる。名前が生まれる。パワーワードが生まれる。マニュアルの体裁をした冗談や、冗談の顔をした観測記録が生まれる。

それは現実逃避ではなかった。
むしろ逆で、現実を持てる形にし直すための工夫だったのだと思う。

笑うことでしか手に持てない重さがある。
少し可笑しい名前を与えることでしか見続けられない構造がある。

その意味で、編集は防御でもあった。

何より大きかったのは、記録することで「こちらの解釈」が戻ってきたことだった。

相手の言葉の中で整理されるのではなく、
自分の言葉で出来事を並べ直す。

相手の演出した順番ではなく、
こちらにとって本当に重要だった順番で見直す。

そうやって過去をもう一度読むと、見えてくるものがある。

ここで削られていた。
ここで無意識に縮こまっていた。
ここで初めて違和感が名前を持った。
ここでようやく、別の世界の手触りを知った。

つまり編集とは、出来事を綺麗にすることではない。
自分の人生に対して、自分の注釈を返していくことなのだと思う。

だから書いていると、ときどき不思議なことが起きる。

疲れていたはずなのに、少し元気になる。
苦かったはずの記憶なのに、少し可笑しくなる。
もう終わったと思っていた出来事が、別の意味を持ちはじめる。

それはおそらく、記録が単なる保全ではなく再編集に変わった証拠なのだろう。

そして再編集は、過去を変えるわけではないが、過去との関係は確実に変える。

以前は、記憶のほうがこちらを捕まえていた。
いまは、こちらが記憶に見出しをつけられる。

その差は大きい。

見出しをつけられるものは、少なくとももう完全な混乱ではない。
章にできるものは、すでにこちらの手の中に少し入っている。

たぶん私は、そうやって少しずつ自分の人生を取り戻していたのだと思う。

大げさに運命を変えるのではなく、
小さなログに注釈をつけ直しながら。

何が嫌だったのか。
何が滑稽だったのか。
何が救いだったのか。
何が自分を生かしていたのか。

それらを並べ直していくうちに、同じ人生でも見え方が変わる。
受け身で耐えていた時間が、観測と編集の時間に変わる。

そうなると、残るものも少し変わる。

楽しかったことは過ぎていく。
苦しかったことも、時間とともに輪郭を失う。
けれど、あとになってなお見返したくなるものがある。

完全には楽しくなかった。
でも妙に面白かった。
つらかったのに、なぜか強く残る。

そういうものを、私はたぶん「Interesting」と呼びたいのだと思う。

Interesting なものは、傷そのものではない。
傷が何を映していたのかを考えさせるものだ。

だから記録は、いつか単なる傷の保管庫ではなくなる。
少し遅れて効いてくる、別の種類の資産になる。