Epilogue
Interesting は残る
最後に残るのは、楽しかったことや苦しかったことだけではなく、あとになってもこちらを見返し続ける何かだ。
振り返ってみると、最初にあったのは怒りだった。
あるいは、怒りになる前のもっと小さなものだったのかもしれない。
違和感、棘、説明できない疲れ、会議のあとに残る鈍さ。そういうものが少しずつ積み上がって、やがてまとまった形を持ち始めた。
当時はそれが何なのか分からなかった。
ただ、何かがおかしいという感覚だけがあった。
それに名前がつき、
構造が見え、
少しずつ距離が取れるようになり、
ついには笑いに変わる場面まで出てきた。
こうして並べてみると、それは単なる整理ではなく、ほとんど回復に近かったのだと思う。
見えなかったものが見えるようになること。
自分の感覚を、自分のものとして引き受け直すこと。
相手の演出の中で揺れるのではなく、自分の言葉で記録を編み直すこと。
そのどれもが、少しずつこちらの輪郭を戻していった。
最初は、こんなふうに残るとは思っていなかった。
ただの愚痴のように始まったものが、ここまで形を持つとは思っていなかった。
けれど、たぶん自然な流れだったのだろう。
違和感を無視しなかったこと。
記録したこと。
名前をつけたこと。
その名前に少し可笑しみを混ぜたこと。
そして最後に、鏡の話へまでつながったこと。
それらは全部、同じ方向を向いていた。
自分を失わないこと。
それだけだったのかもしれない。
そして、それだけのことが思っていたよりずっと難しかったのだと思う。
でも難しかったからこそ、いま残っているものには意味がある。
過ぎたものは、いずれ過ぎる。
楽しかったことも、つらかったことも、そのままの温度では残らない。
それでも、あとになってふと見返したくなるものがある。
妙に手触りが残るものがある。
完全に心地よかったわけではないのに、どうしても忘れきれないものがある。
そういうものが、たぶん残る。
Fun は過ぎ去る。
でも Interesting は残る。
この記録に残ったのも、おそらくそちらのほうだ。
単純に楽しかったからではない。
単純に苦しかったからでもない。
その両方を通り抜けたあとに、
なお見つめ返してくるものがあったからだ。
もしこの記録がこれから先、誰かの手に渡ることがあるなら、
それはきっと「うまくやる方法」を教えるためではない。
もっと静かなかたちで、
自分の違和感を軽く見すぎなくていいことや、
名前のない疲れにも輪郭があることや、
笑いながら距離を取る技術がちゃんと存在することを、
少しだけ伝えるためなのだと思う。
鏡は、都合のいい像だけを返してはくれない。
けれどそのぶん、見えていなかった輪郭を返してくれる。
その輪郭を見たあとで、人はようやく選び直せる。
どう立つか。
何を信じるか。
どんな言葉を投げるか。
そしてたぶん、
どんなふうに自分の人生を編み直すかも。
ここまで来たなら、もう前と同じようには戻らない。
違和感には名前がついた。
観測装置は起動した。
鏡は、昔より少し正直に見える。
だからこの記録は、ここでいったん閉じる。
終わるというより、次の場所へ置き直すために。
過去を暴くためではなく、
過去を持てる重さにするために。
そして願わくば、
誰かが自分の中のかすかなシグナルを見失いそうになったとき、
その輪郭を取り戻す小さな補助線になるために。
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