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遅刻しないと気がすまない人たち

繰り返される遅刻は、時間ではなく人の扱い方の問題として見えてくる

5分前行動という言葉は、わりと理にかなっている。

余裕を持つためでもあるし、
遅れないための工夫でもある。
でも、いちばん大きいのは、相手の時間を無駄にしないための最低限の配慮だと思う。

時間を守ることは、几帳面さの問題ではない。
相手にも予定があり、相手の時間にも重さがあると認めることに近い。

だから私は、開始時刻が決まっている場に平気で遅れる人を見ると、
以前よりずっと強い違和感を覚えるようになった。

ミーティングでも、飲み会でも、待ち合わせでもそうだ。
時刻が決められているのに、そこを軽く扱うというのは、
他人の時間を黙って消費することとほとんど同じだと思う。

昔は、そこまで気にしていなかった。

この人は忙しいのだろう。
予定が詰まっているのだろう。
多少の遅れは仕方がない。

そのくらいに思っていたし、実際、そういうふうに流していた。

でも、何度も同じことが続くと、それは偶然ではなくなる。
たまたま遅れたのではなく、時間を守ること自体の優先順位が低いのだと分かってくる。

あるとき、遅刻の多い人と一緒に会議室へ向かっていた。
開始まで、もう2、3分というところだった。

今から行けば、ちょうど間に合う。
少し急げば、むしろ余裕すらある。

そう思っていたら、その人が言った。

「タバコ吸いに行こう」

一瞬、意味が分からなかった。

時間に遅れそうだから一服したい、ではない。
時間通りに着ける状況なのに、それより先にタバコを吸いたいということだった。

その瞬間、あぁ、この人にとって時間は、守るかどうかを状況で判断するものではなく、
そのときの気分で前後していいものなのだと思った。

これは忙しさの問題ではない。
時間の優先順位の置き方そのものが、こちらとは違うのだと感じた。

以前、その理由を聞いたことがある。

「時間通りに着くの、あんまり好きじゃないんだよね」

何かがずれている気がした。

約束の時刻に合わせるというのは、
好き嫌いで調整する種類のものではないはずだ。

もしそこに個人の感覚を持ち込むなら、
その調整に使われるのは、自分の時間ではなく相手の時間だ。

待たされる側が、そのぶん何も失っていないわけではない。
ただ文句を言わずに立っているだけで、もう時間は差し出させられている。

少し意地の悪い見方をすれば、
人を待たせることで、自分をより優位に立てるような感覚があるのではないか、とすら思う。

もちろん、本当にそう考えているのかは分からない。
でも、意図がどうであれ、出来上がる構図はかなりそれに近い。

遅刻は、小さなことのように見える。
でも、それが繰り返されると、関係の形は静かに変わっていく。

こちらが待つ側であることが当然になり、
向こうが遅らせる側であることも、だんだん当然になっていく。
その積み重ねは、思っている以上に人を摩耗させる。

だから私は、繰り返し時間を守れない人とは距離を置くことにした。

時間の問題ではなく、
人をどう扱うかの問題だからだ。