Chapter 4
質問のふりをした試し行為
すべての質問が答えを求めているわけではない。相手の思考を借りながら、なお上に立つための問いもある。
質問には、本当に答えを求めているものと、そうでないものがある。
前者は、分からないことを分かろうとして差し出される。後者はもう少し複雑だ。問いの形をしてはいるが、実際には確認したいものが別にある。自分の位置、自分の優位、自分がまだ主導権を持っているという感覚。そういうものが、質問の皮をかぶって現れることがある。
私は長いあいだ、その違いをうまく見分けられなかった。
どう思いますか、と聞かれれば、普通に考えて答える。
前提が曖昧なら、条件を分ける。
場合によって変わるなら、その分岐も添える。
そうやってできるだけ誠実に返すのだが、なぜか会話はきれいに終わらない。
納得したのか反対なのかもはっきりしない。
ただ、少しだけ空気がずれる。
こちらが期待された役割を果たさなかった、とでも言いたげな静けさだけが残る。
最初は、自分の答え方が悪いのだと思っていた。
要点を外したのかもしれない。
相手の知りたいことを汲めていないのかもしれない。
もう少し短く返すべきだったのかもしれない。
けれど何度か似たことが続くと、別の可能性が見えてくる。
もしかすると、相手は最初から答えを求めていないのではないか。
たとえば、こういう場合だ。
自分ではうまく言葉にできない違和感がある。
けれど曖昧なままでいるのは不安だ。
だから、他人に整理させてみる。
ただし、その整理が自分のぼんやりした想定を超えてしまうと困る。
そうなると、今度は急に温度が下がる。
質問はした。
答えも返ってきた。
でも、欲しかったのはそこではない。
そのとき場に残る微妙なずれは、たぶんその食い違いから生まれる。
私はしばらく、それを会話の失敗だと思っていた。
でも今は少し違う見方をしている。
あれは失敗というより、目的の取り違えだったのだと思う。
私は、中身の整理に協力しようとしていた。
相手は、自分の曖昧さをこちらに処理させながら、なお中心にいたかった。
そこが一致していないのだから、きれいに噛み合うわけがない。
さらに厄介なのは、この種のやり取りでは、答える側があとから自分を疑いやすいことだ。
もっと上手い返し方があったのではないか。
あそこでは別のニュアンスを読むべきだったのではないか。
つまり結局、自分が空気を読めていなかったのではないか。
そうやって考え始めると、問いの中心はいつのまにか相手からこちらへ移る。
なぜあの人はそういう聞き方をしたのか、ではなく、
なぜ自分はうまく返せなかったのか、へ。
たぶん、それもまたこのやり取りの機能の一部だった。
明確に責めるわけではない。
露骨に否定するわけでもない。
ただ、少しだけこちらが自分を検証したくなるような余白を残す。
そういう問いは静かだ。
でも静かであるぶん、長く残る。
あとになって思う。
問いには、相手の誠実さが出る。
本当に考えたい人は、前提を共有する。
自分の見えていない部分を認める。
想定があるなら、それも含めて差し出す。
けれど、試し行為としての質問には別の匂いがある。
答えを受け取るためではなく、答えさせるための問い。
こちらの思考を借りながら、なお上に立っていたいときの問い。
その匂いを、当時の私はまだうまく言葉にできなかった。
ただ毎回、少しだけ疲れていた。
答えたあとなのに、何も終わっていない感じだけが残った。
いまなら、あれは質問ではなく試し行為だったのだと言える。
けれど、その認識に辿りつくまでには、ずいぶん時間がかかった。
誠実に答えることは、悪いことではない。
ただ、誠実さが通じない場では、それだけで少しずつ削られる。
そのことを知ったのも、たぶんこの頃だった。