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Chapter 6

正常な世界の手触り

返事が返り、受け取られ、自然に気遣われること。その当たり前の往復は、長く欠けていたあとには驚くほど鮮やかに感じられる。

異常な場所に長くいると、基準は静かにずれていく。

それがずれていると気づくのは、だいたい正常なものに触れたときだ。

たとえば、短い返事がすぐ返ってくる。
送ったものをちゃんと読んだ気配がある。
気遣いが、気遣いとしてまっすぐ届く。

それだけのことで、人は驚くほど戸惑う。

私はあるとき、その戸惑いをじんわりと味わった。

ほんの短いやり取りだった。予定をずらしてもいいかという連絡が来て、もちろん大丈夫だと返す。するとすぐに反応が返る。確認しました、ありがとうございます、どうぞゆっくり休んでください。こちらもそう返す。

それだけのことだ。

それだけのことなのに、妙にあたたかい。
しかも、あとに濁りが残らない。

何かを察し続けなくていい。
返事がなかった理由を何通りも考えなくていい。
ちゃんと届いたのか、読まれたのか、気に障ったのか、機嫌が悪かったのか、そういう余計な計算をしなくていい。

そのことに、私は少し驚いた。

ああ、会話って本来こういうものでもあるのか、と。

長く無音の場所にいると、反応が返ってくること自体が特別に見える。
けれど本当は、それは特別ではなく基礎だったのだと思う。

読んだら返す。
受け取ったら少し返す。
相手の存在を、言葉のかたちで確認する。

その往復があるだけで、人はずいぶん安心する。

いまになって思えば、私は長いあいだ、内容だけでなく反応の不在にも削られていたのだろう。
何かを送っても沈黙がある。
届いたのかどうかも分からない。
読まれたとして、その中身がどう扱われたのかも見えない。

それはたぶん、単なる不便ではない。
存在が確かめられない状態に近い。

だから短い反応ひとつで、人は思った以上に回復する。

ありがとう、見ました。
助かります。
では、また。

そんな小さな言葉が、ひどく正常に見える。
そしてその正常さが、こちらの中で少しずつ失われていた基準を戻していく。

もちろん、反応がある世界にも面倒はある。
人間関係はどこへ行っても単純ではないし、丁寧なやり取りだけで全部がうまくいくわけでもない。

けれど、それでも違いはある。

相手がこちらを受け取る気でいるかどうか。
会話が一方通行の圧ではなく、往復として成立しているかどうか。

それだけで、仕事の温度はかなり変わる。
そしてたぶん、生きている感じも少し変わる。

私はそのとき、自分がどれだけ反応の乏しい場所に長くいたのかを、少し遅れて理解した。

慣れていたのだと思う。
返ってこないことに。
読まれたかどうか分からないことに。
相手の沈黙をこちらが補完し続けることに。

慣れているものは、自分の中で標準になってしまう。
だからそれが異常だと分からなくなる。

正常な世界は、たいてい劇的には現れない。
扉が開いて光が差すわけでもない。
多くの場合は、短い返事や、軽い相づちや、自然な気遣いのかたちでやってくる。

だから見逃しやすい。
けれど、その小ささこそが本当は大切なのかもしれない。

大きな救済ではなく、
小さな往復。
大きな感動ではなく、
濁りのない応答。

そういうものに触れるたび、こちらの中の基準は少しずつ戻っていく。

あれが普通だったのか、と知ることは、
これまでが普通ではなかったのか、と知ることでもある。

その発見は少し痛い。
でも、その痛みがあるからこそ、人は戻ってこられる。